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千葉地方裁判所佐倉支部 昭和54年(ワ)157号 判決 1983年2月04日

原告 大谷登志子

<ほか二名>

原告ら訴訟代理人弁護士 髙橋勲

同 髙橋髙子

被告 株式会社 太陽神戸銀行

右代表者代表取締役 奥村輝之

右訴訟代理人弁護士 髙橋龍彦

同 佐藤章

主文

一  被告は、原告大谷登志子に対し金一九五万九六五一円及び内金一五五万九六五一円に対する昭和五五年一月二〇日から、内金四〇万円に対する本判決確定の日の翌日から各完済まで、原告大谷誠之及び原告大谷俊之に対し各金五一八万九九七円及び各内金四七八万九九七円に対する昭和五五年一月二〇日から、各内金四〇万円に対する本判決確定の日の翌日から各完済まで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は、原告大谷登志子に対し金一六八四万二七四六円、原告大谷誠之及び原告大谷俊之に対し各金一四二六万四〇九二円並びにこれらに対する昭和五五年一月二〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

亡大谷三郎(以下、三郎という。)は、昭和五二年五月から被告銀行四街道支店に勤務していたが、昭和五四年三月三日死亡し、原告大谷登志子(以下、原告登志子という。)はその妻であり、原告大谷誠之(以下、原告誠之という。)及び原告大谷俊之(以下、原告俊之という。)はその実子である。

被告銀行は、神戸市生田区浪花町五六番地に本店を置き、普通及び貯蓄の銀行業務等を業とする株式会社である。

2  本件事故の発生及び三郎の死亡

三郎は、昭和五四年三月一日に大衆割烹「みまつ」で開催された決起大会に出席中、二階階段から転落(以下、本件事故という。)し、脳挫傷のため、同月三日死亡した。

3  本件事故発生の状況等

(一) 昭和五四年三月一日に被告銀行四街道支店長主催による期末預金増強の決起大会が大衆割烹「みまつ」の二階で行われた。右決起大会を銀行外で開催した理由は、営業が銀行内会議室の一部を使用中で狭隘のため全員の収容が困難であったことと大会を盛大にするためであった。右決起大会は、昭和五三年度下期決算月を迎え、業務拡大目標達成のため、主力推進者である男子職員全員の努力結集を図るとともに職員の業務に関する個別的、具体的な問題の聴取と督促を目的として開催されたもので、午後六時三〇分頃から開始され、冒頭石井支店長の訓辞が一五分程度なされ、その後前田次長の音頭で、目標達成と受賞を期して乾杯し、午後七時頃から会食が始まり、個別的、具体的な仕事の推進方法、見通し、情報交換などの懇談がもたれた。

(二) 三郎は、総務係に所属し、通勤庶務職員として勤務していたが、その職務内容は、ロビーにおける顧客の案内、店内外の清掃整理整頓、郵便物の受付発送、会議等の場所設営と整理整頓並びに物資調達運搬、冷暖房等機械の保守管理、店舗建物の施錠開閉、警備等が主なものであり、銀行内で会食する場合は、会場の設営、配膳、酒の付け、後片付けは常に三郎ら庶務職員の仕事であったものであり、右決起大会において、三郎は、直接的には幹事役の指名は受けていないが、庶務職員として、職務柄自己の職務の一環として参加し、酒、ビールの追加注文や会食の世話など幹事的役割を果たしていた。

(三) 三郎は、午後八時一〇分頃、一階に降りようとして階段を降りかかったところ、足を滑らせて転落した。三郎は、右転落直前まで動いていたのであるから寝込むまでに至らなかった程度の飲酒状況であり、また、自宅での飲酒も本件事故当時なかったことからも、酩酊による転落とは考えられない。三郎は、同僚により一階和室に移されたが、意識不明の状態であり、その額部分には線状のすり傷があった。そして、午後八時二〇分頃、三郎は、石井支店長の指示で同僚に付添われてタクシーで帰宅したが、その際、送ってきた同僚は、「階段から落ちた。たいしたことはない。」と原告登志子に言った。三郎が昏々と眠っている状態であったので、同原告も三郎をそのまま寝かせておいたところ、翌朝になって三郎の容態が急変し、国立習志野病院に入院したが、脳挫傷と診断され、翌三日午後一時五分死亡した。

4  被告の責任

労働者は、使用者の指揮命令に服し、使用者の指定する業務内容を使用者の指定する労働条件下において労働力を提供するものであるから、使用者としては、労働者に対し、自らの指揮監督下に置く労働者の健康障害の有無を早期に発見し、健康障害を発見した場合は、労働者を看護し、使用者負担で適切な治療を受けさせ、業務遂行過程で健康被害を受けたり受傷した労働者に対しては、適切な看護、治療を受けさせる義務がある。

これを本件についてみるに、三郎は、被告銀行の指揮監督下において、被告銀行の業務に従事中、転落して額部分を強打して意識不明の状態に陥ったのであるから、被告銀行は、直ちに三郎を安静にしたうえ、医師の往診を求めるなり、救急車の手配をして病院に搬送するなどの適切な看護、手当、或いは、治療を受けさせる義務があるのに、これを怠り、なんら適切な措置をとらなかった。その結果、三郎は死亡するに至ったものであるから、三郎の死亡は、被告銀行の安全保護義務違反により生じたものである。

5  損害

(一) 逸失利益

三郎は、死亡当時満四六歳の健康な男子であったから、本件事故がなかったとすれば、少なくとも満六七歳までの二一年間は働き得たはずである。

三郎は、被告銀行から、本件事故前三か月の給与を平均すると月金二一万五九四三円の給与を得ており、賞与は年二回(六月、一二月)支給され、その額は昭和五四年度は金九七万六五〇〇円であるから、三郎の年収は少なくとも金三五六万七八一六円を下ることはない。

そこで、生活費四割を控除し、新ホフマン式計算法により中間利息を控除して、三郎の逸失利益の現価を算出すると、金三〇一九万二二七七円となる。

356万7816×(1-0.4)×14.104=3019万2277(違算)

原告らは、三郎の共同相続人として、右損害賠償債権を金一〇〇六万四〇九二円宛相続した。

(二) 慰藉料

原告登志子は、昭和三四年二月一七日三郎と婚姻して以来、平和な家庭を築いてきたものであるが、被告銀行の一方的な過失のため最愛の夫を失い、以後、生計維持のためパートとして働かざるを得なくなった。原告誠之及び同俊之は、本件事故当時未成年者であり、突然にして実父と死別し、その愛護、養育を受けることが全くできなくなった。原告らは、一家の支柱であった三郎の死により、筆舌に尽くし難い精神的苦痛を蒙った。

したがって、原告らに対する慰藉料は、原告登志子が金八〇〇万円、同誠之及び同俊之が各金三〇〇万円をもって相当である。

(三) 葬儀費用

原告登志子は、三郎の葬儀費用として、少なくとも金八〇万円を支出した。

(四) 弁護士費用

本件事故に関する損害賠償につき、被告には誠意がなく、原告らは本訴提起を原告ら代理人弁護士に委任せざるを得なくなり、着手金及び報酬として金三六〇万円を支払う約束をし、原告らはその三分の一宛負担した。

(五) 損益相殺

原告登志子は、昭和五四年九月四日に労災保険から遺族特別支給金二〇〇万円、葬祭料金四三万一九四〇円、同年一一月一日に年金七八万九四〇六円、合計金三二二万一三四六円の支給を受けたので、これを同原告の損害額から控除すると、同原告の損害は金一六八四万二七四六円となる。

6  よって、被告に対し、原告登志子は金一六八四万二七四六円、原告誠之及び原告俊之は各金一四二六万四〇九二円及びこれらに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五五年一月二〇日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3の事実中、原告ら主張の日時場所で決起大会が開催されたこと、三郎の職務内容がロビーにおける顧客の案内、店内外の清掃整理整頓、郵便物の受付発送、店舗建物の開錠であること、三郎が階段から転落したこと、タクシーで三郎を送っていった行員が原告登志子に「階段から落ちた」と言ったこと、同原告が三郎をそのまま寝かせておいたこと、翌朝になって三郎の容態が悪化し、国立習志野病院において脳挫傷と診断され、翌三日午後一時五分死亡したことは認め、その余の事実は否認する。

3  同4について

使用者がいわゆる安全保護義務を負担していることは争わないが、原告らの主張及び事実は争う。

4  同5の(一)の事実中、三郎の本件事故前三か月間の平均給与が金二一万五九四三円であり、昭和五四年度の賞与が金九七万六五〇〇円であったことは認めるが、被告銀行の定年は、満五五歳であって、その後の再就職による収入は激減するはずであるから、定年後も同一額の収入があることを前提とする原告らの計算方法は正しくない。

同5の(二)は争う。

同5の(三)、(四)の事実は不知。

同5の(五)の事実中、原告登志子がその主張の日にその主張の金額の労災保険金を受領したことは認める。

三  被告の主張

1  本件事故発生の状況等

(一) 被告銀行四街道支店は、昭和五四年三月一日、期末預金増強決起大会を開催したが、その主たる目的は、職員の慰労と志気の昂揚にあり、したがって、その名称にかかわらず、右大会は、懇親会的色彩が強く、業務との直接の関連はなかった。そのため、右大会は比較的自由な雰囲気で行う必要があり、敢えて支店内の会議室を使用することなく、大衆割烹「みまつ」が利用された。懇親が主たる内容であったから、出席は強要されることはなく、中座した者もいた。また、書類の配布等もなかった。

(二) 右大会実施の計画は、同年二月中旬、支店長から次長に打明けられ、総務職を除く男子職員全員で、取引先係中心でこれを開くというものであったが、その目的、内容が職員の慰労、懇親ということであったから、大会の一週間前に急拠総務職も含めることとなった。したがって、三郎が右大会に参加するようになったのは、庶務係の仕事の一環としてのものではない。また、右大会においては、三郎の役割はなんら指示されてなく、事実上の幹事役は中山副長がこれを果たした。

(三) 右大会は、冒頭支店長の簡単な挨拶で始まったが、この挨拶は単なる開会の宣言であって、訓示ではない。間もなく酒食が運ばれて賑やかな宴会となった。

三郎は、階段から転落したようであるが、その目撃者は全くいない。「みまつ」には二階に一か所の便所しかなく、右転落前に同僚が三郎に一階にもトイレがあることを教えていることからすれば、三郎は一階のトイレに行く途中で階段から転落したものと思われる。

(四) 三郎が階段から転落したらしいとのことで、被告銀行の職員約一〇名が現場に駆けつけたが、三郎には、酒を飲むと寝込んだり、腰が抜けて歩行困難となる癖があったし、甚だしいときは、同僚が背負って階段を降りてタクシーに乗せたこともあり、また、酩酊すると失禁することなども同僚間に有名であった。そのため、同僚達は、三郎にいつもの癖がでたものと判断し、近くの和室に三郎を寝かせて介抱したのち、支店長の指示によって、一人が付添い、タクシーで自宅に送り届けた。

2  被告には原告ら主張のような安全保護義務はない。

安全保護義務とは、本来、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随的義務として、当事者の一方、又は、双方が相手方に対し、場所、施設、器具、業務の内容等から生ずる危険から保護すべき義務であるから、これらの場所、施設等自体に危険性が内包されていることが前提であり、学説は原則としてこの安全保護義務の具体的内容を物的及び環境上の危険防止義務、作業行動上の危険防止義務、作業内容上の危険防止義務に分類しているところである。

ところで、本件事故が発生した場所は、被告銀行の施設外であって、その事故の原因は、一般大衆が普通に使用している割烹店における二階階段からの転落であるから、その場所、施設、器具(物的及び環境上)の関係においてはなんら被告銀行に責任はなく、その集会自体は、懇親と慰労を目的とした飲食を内容とするものであるから、その内容(作業行動上及び作業内容上)の関係においても、危険性が包蔵されているはずがない(三郎の集会出席については、基本的に作業行動、又は、作業内容等を云々する余地すらない。)。したがって、本件事故は、本来業務上の危険性が存在せず、被告銀行に安全保護義務がないところに生じた同人の自招事故、又は、自損行為にほかないから、被告銀行にその責任はないというべきである。

次に、被告には原告ら主張のような安全保護義務もない。専門の医師ですら識別が困難なアルコール中毒と脳挫傷とを即座に判定し、それぞれに対応した適切な処置をとらなければならない義務はない。すなわち、銀行法に基づいて、預金の受入等を主たる事業目的とする被告銀行に対し、そのような高度の医学知識までその従業員に教育訓練せよということは真に難きを強いるものにほかならない。被告銀行の処置としては、三郎を一時安静状態に置き、その後行員を付き添わせて遅滞なくタクシーで同人宅に送りつけただけで十分である。

3  死亡の予見可能性について

三郎の傷害は、後日脳挫傷と診断されたが、元来外部に創傷のない閉鎖性脳挫傷には、顕著な外形的症状がなく、更に、本件においては、階段からの転落を目撃した者もなく、三郎の受傷の部位を頭部とまで想定できるような状態ではなかったうえに、三郎が酔えば寝込むことは周知のことであったから、三郎が寝込んでいても、いずれも飲酒のためと思い込んで、不思議に思う者は一人もいなかった。そして、その病状は、外科の医師ですら判定に困難を感ずるほど微妙なものである。

したがって、一般人にとっては、明らかに三郎の死亡について予見可能性がないというべきであるから、被告銀行には責められるべき過失がない。

4  損益相殺

原告登志子は、本件事故について、労災保険法によって既に給付を受けた遺族特別支給金、葬祭料及び年金をあらかじめ控除したが、労災保険法による将来受給分も控除されるべきものである。

5  過失相殺

酒に酔って階段から転落したことは三郎の重大な過失であり、また、原告登志子が、被告銀行の行員から三郎が階段から転落した事実を聞きながら、これをそのまま寝かせて翌朝まで看病せず、放置したことも原告側の過失である。

四  被告の主張に対する認否

同4、5の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実(当事者)及び同2の事実(本件事故の発生及び三郎の死亡)はいずれも当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

1  昭和五四年三月一日に被告銀行四街道支店長主催による期末預金増強の決起大会が同支店近くの大衆割烹「みまつ」の二階で開かれたが、この種の決起大会は、期末、ボーナス時期等に定期的に行われるもので、右大会も昭和五三年度下期決算月を迎え、業務拡大目標達成のため、職員の慰労と志気の昂揚を図るために開催されたものであり、職員の研修、会合等について記載する被告銀行の公式記録である職場教育記録簿にも記載されている。右大会の費用については、被告銀行と支店長負担となっており、出席者からは徴収されていない。

2  右大会の実施については、同年二月中旬頃、石井支店長から前田次長に話され、当初は右開催の趣旨から取引先係と役席で開くこととされていたが、そうすると男子職員二四名中二一名となるので、右大会の数日前に三郎ら三名の総務職員も参加してもらうこととし(なお、女子職員を除外したのは、直接預金拡大等の業務に従事しておらず、帰宅時間等の問題があったためである。)、会場については、支店内にある会議室が狭いという物理的理由のほかに慰労の趣旨もあって支店近くの大衆割烹「みまつ」とされた。

3  右大会への出席については、上司から口頭で伝えられたが、支店長の指示によるものであるから特別の事情のない限り出席をせざるを得ないものと各職員が考えており、男子職員全員が出席した(盲腸手術し抜糸前で医師から禁酒を命ぜられていた取引先係の大沢啓二も出席している。)。

4  右大会は、午後六時三〇分頃、中山副長の司会により開会し、冒頭、石井支店長の期末業務拡大についての訓示がなされたのち、前田次長の音頭で目標達成と受賞を期して乾杯がなされ、午後七時頃から宴会となった。

5  ところで、三郎の総務職員としての職務内容は、ロビーにおける顧客の案内、店内外の清掃整理整頓、郵便物の受付発送、店舗建物の開錠等であるが、支店内で会議、会食等をする場合には、担当副長の指示に基づき、会場の設営、配膳、後片付けも三郎ら総務職員の仕事であった。なお、当日の幹事については特に指名された者がなかった。

6  三郎も右大会で飲酒し、佐渡おけさを踊るなどしていたが、その数分後である午後八時一〇分頃、一階へ降りようとして足を滑らせ転落した(三郎が転落した状況を直接目撃した者はなく、また、三郎がいかなる用途で一階に降りようとしたのか確定することができない。すなわち、この種の会合における総務職員の従来の職務内容から判断して、追加注文等のための連絡に行く途中と推認し得る余地もないわけではないが、トイレに行くためであったと考える余地もある。)。右転落の物音を聞きつけて、行員らが現場に駆けつけてみると、三郎は階段下の盆り場に頭部を階段とは反対の下駄箱の方に向けてうつぶせの、いわゆる「つんのめる」状態で倒れており、意識はなく、また、失禁していた。なお、右転落によって三郎は額部分に線状のすり傷を受けていたが、当時、現場にいた行員らはこれに気が付いていない(右受傷の程度については証拠上明らかではないが、額の傷であることからすると、その場にいた行員らが右傷の存在に気がついていないということは、逆に、行員らがそもそも外傷の有無について調査すらしていなかったと推認することができる。)。そこで、行員らは、三郎を一階の和室に移し様子を見ていたが、その際、「みまつ」の女将の「救急車を呼びましょうか。」との発言もあったものの、三郎が酒を飲むと寝込んだり、また、失禁したりするなどのことが同僚らに周知のことであったため、行員らは、三郎にいつもの癖がでたものと安易に考え、午後八時二〇分頃、石井支店長の指示により、帰宅方向が同一である安西行員が付添って三郎を自宅まで送り届けた。そして、安西は、原告登志子に「階段から落ちたので、顔を打ってるかも知れない」と話し、三〇分位三郎の様子を見ていたが、その間も三郎は昏々と眠っている状態であり、また、安西は同原告に右発言以外に本件事故発生の前後の状況を話していない。原告登志子は、三郎には酔うと寝込む癖があることから、右のような状態にある三郎がいつもの癖がでて寝ているものと考えてそのまま三郎を寝かせ、別室で就寝した。ところが、翌朝になっても三郎の意識が戻らなかったために、原告登志子は、救急車でかかりつけの加瀬外科病院に搬送したところ、午前七時三〇分頃、同病院の医師は簡単な検査をしただけで「手遅れ」であると診断した。その後、原告登志子の懇請により、三郎は、国立習志野病院に入院することとなったものの、レントゲン検査の結果、手術しても回復しないと診断され、結局、三郎は同月三日午後一時五分脳挫傷により死亡した。

三  ところで、一般に、雇用契約においては、使用者は労働者に対して、報酬支払の義務を負うほか、信義則上、雇用契約に付随する義務として、労働者の生命及び健康を危険から保護するよう配慮する義務を負っているものであり、したがって、業務中に労働者に事故が発生したときには、その受傷の有無を判断し、受傷、若しくは受傷の可能性のある労働者に対しては、適切な治療を受けさせる義務があると解するのが相当である。

そこで、本件事故が業務中の事故に該当するかについて検討すると、前記認定事実によれば、本件決起大会が被告銀行の業務に関連したものであることは明白であり、右大会への出席は任意ではなく、事実上業務命令とも同視し得るものであり、したがって、三郎は総務職員としてではあるが右大会中は被告銀行の指揮監督下に置かれていたものというべきであるから、本件事故は業務中に発生したものと認めるのが相当である。

次に、本件事故によって三郎が受傷したことを通常人において認識し得たか否かについて検討するに、前記認定事実によれば、被告銀行の行員は、三郎が階段から転落した際の物音を聞いていること、転落直後の状況は、階段下の盆り場に頭部を階段とは反対の下駄箱の方に向けてうつぶせの、いわゆる「つんのめる」状態で倒れており、意識不明の状態であったこと、右転落の直前には三郎は踊りを踊れる程度の酔の状況にすぎなかったというのであるから、これらの事実を総合して考えると、通常人であれば、三郎が頭部に強度の衝撃を受けたのではないかと考えるのが常識である。まして、三郎は転落によって額部分に受傷していたのであり、その部位から判断して、少しの注意を払えば右受傷の事実を発見し得たことを考えると、なおさらの感がある。

そうすると、三郎は業務中に本件事故を起こし、頭部に強度の衝撃を受けていたのであるから、被告銀行としては、医師の応診を求めるなり、救急車で病院に搬送するなどして三郎に適切な治療を受けさせる義務があったにもかかわらず、これを履行せず、その結果、三郎を死亡するに至らしめたといわなければならない。

被告は、三郎には酔うと寝込んだり、失禁したりすることが度々あったため、三郎の前記のような状態を酔がまわったためであると判断したことはやむを得なかった旨主張するが、転落直前の三郎の状況や転落したこと自体を考慮にいれてないもので到底採用し得ない。

更に、被告は、本件事故によって三郎の死亡を予見することはできなかった旨主張するが、右主張は本件事故によって三郎が頭部に受傷したことを認識できなかったということを前提にするものであるうえ、頭部に強度の衝撃があったときには、速やかに医師の診察を求める必要があり、時を移すと死亡の可能性もあるということは通常人の常識ともなっているものであるから、被告の右主張も採用できない。

四  損害について

1  逸失利益

《証拠省略》によれば、三郎は昭和七年一〇月二四日生れの健康な男子であることが認められるから、本件事故当時満四六歳であり、本件事故がなかったとすれば、少なくとも満六七歳までの二一年間稼働することが可能であったものと認めることができ、また、《証拠省略》によれば、被告銀行の職員の定年は満五五歳であることが認められ、定年後再就職による収入金額は、通常定年前の給与所得額から減少するものであるから、右定年までの九年間は従前の給与所得額(その年間給与額が金三五六万七八一六円であることは当事者間に争いがない。)を基礎とし、定年後満六七歳までの一二年間は賃金センサス昭和五三年第一巻第一表の男子労働者の産業計、企業規模計、学歴計の年間給与額金三〇〇万四七〇〇円を基礎とし、三郎の生活費は収入の四割であると認めるのが相当であるから、三郎の年収から四割に相当する金額を控除し、中間利息をホフマン式計算方法により控除して三郎の逸失利益の現価を算出すると金二七八八万五九八七円となる。

356万7816×(1-0.4)×7.278=1557万9938(円未満切捨)

300万4700×(1-0.4)×(14.104-7.278)=1230万6049(円未満切捨)

1557万9938+1230万6049=2788万5987

2  慰藉料

原告らは、三郎の死亡による固有の慰藉料請求権を取得したと主張するが、三郎と被告との間の雇用契約の当事者でない原告らが固有の慰藉料請求権を取得するに由ないことは明らかであるから、右主張は失当というほかない(なお、不法行為責任をも求めているものとは解することができない。)。

3  葬儀費用

《証拠省略》によると、原告登志子は三郎の葬儀を執行し、その費用として少なくとも金八〇万円を支出したことが認められるところ、右費用は被告の前記債務不履行と因果関係のある三郎の損害と認めることができる(原告らの主張も右のように善解することができる。)。

4  過失相殺

三郎の死亡は、本件事故に起因するものであるところ、検証の結果によれば、本件事故が発生した階段には転落防止用の手すりが設置されていたことが認められるうえ、本件事故は三郎が酒に酔って階段から転落したものであることを考慮すると、本件事故発生については三郎に重大な過失があったというべきであるから、三郎と被告との過失の割合は、一対一と認めるのが相当である。

なお、被告は、原告登志子にも過失があると主張するが、原告登志子は三郎を送ってきた安西行員から本件事故発生の前後の状況の報告を全く受けていなかったものであるから、同原告が三郎をそのまま寝かせておいたとしても、同原告に責められるべき点は全くないというべきであるから、被告の主張は理由がない。

したがって、前記1、3の損害額について右割合に従って過失相殺すると、三郎の損害は金一四三四万二九九三円(円未満切捨)となるから、原告らは各自金四七八万九九七円(円未満切捨)ずつ損害賠償請求権を相続により取得したことになる。

5  損益相殺

原告登志子が労災保険から遺族特別支給金二〇〇万円、葬祭料金四三万一九四〇円、年金七八万九四〇六円の合計金三二二万一三四六円の支給を受けたことは当事者間に争いがないので、右金額を控除すると、原告登志子は金一五五万九六五一円の損害賠償請求権を取得したこととなる。

被告は、労災保険法による将来受給分も控除されるべきであると主張するが、「いまだ現実の給付がない以上、たとえ将来にわたり継続して給付されることが確定していても、受給権者は第三者に対し損害賠償請求をするにあたり、このような将来の給付額を損害額から控除することを要しないと解するのが相当である」(最高裁判所昭和五二年五月二七日判決)から、被告の主張は採用しない。

6  弁護士費用

《証拠省略》によると、原告らは、原告ら訴訟代理人弁護士らに本訴の提起、追行を委任し、着手金及び報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の難易、請求の認容額その他諸般の事情を斟酌すると、本件債務不履行と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は原告ら各自金四〇万円と認めるのが相当である。

五  以上のとおりであるから、被告は、原告登志子に対し金一九五万九六五一円及び内金一五五万九六五一円に対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五五年一月二〇日から、内金四〇万円に対する本判決確定の日の翌日から各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告誠之及び原告俊之に対し各金五一八万九九七円及び各内金四七八万九九七円に対する前同様の昭和五五年一月二〇日から、各内金四〇万円に対する本判決確定の日の翌日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 下山保男)

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